dan-0127’s diary

読書感想メインのブログです。

数えないで生きるを読んで

 

たまにはこういうタイトルのエッセイもいい。岸見一郎さんといえば嫌われる勇気が有名だがこのようなエッセイも出してるのだなと手に取った。数えないで生きる。私はどうしても数えてしまう生き方をしてきたし、仕事柄なんでも計算してきた。子供の頃に遡ると勉強をすればお金がもらえると数えていたし、またその通りになった。大学に入学し、就職活動をする段階になると私はまず数えない生き方をしたくてゲーム会社のSEGAを受けた。企画書は通ったが面接でうまく答えられずあえなく落ちてしまった。数えない生き方をするようには教育されていないのである。そこで私は国家試験を受けて公務員になろうと考えた。また数え始めたのである。単純に勉強すればお金がもらえる。中身は子供のままだった。

入庁した当初は生き生きしていた。仕事も楽しかったしお給料にも満足だった。しかしそこでも自分の子供の部分は見え隠れした。疑問に思ったのである。このままここで適当な相手と結婚して、それなりに出世し退職金をもらい余生を過ごす。耐えられなかった。私に取っては究極に数えられた人生のように思えた。未来が見えるのは本当に恐ろしい。なぜなら未来は創るものだから。

三木清は成功は量的だが、幸福は質的であるという。成功を求めてやまない人は何かにつけ不断に数えるだろう。質的な幸福は数えることはできない。p131

私の人生がもっと質的なものであったら過去から現在へとそのプロセスは変わっていただろう。巷には成功本が溢れているし、私も以前はよく読んでいたが最近はほとんど読まなくなった。ふとした瞬間に幸福を感じるようになったからである。それは仕事後にコーヒーを飲んでいる時だったり、時には仕事をしている最中にもそれを感じる。

生存競争の激しい大都市の生活でバーンアウトした韓国の若者たちが、小さいながらも確実な幸福を感じて生きていいのだと思い始めているのである。p183

成功。実際その境地に辿り着いた人にしかわからないものがあるだろうが、想像してみるとそれがどれほどのものか魅力を感じない。もちろん世の中で活躍している実業家や起業家の中には素晴らしい理想を掲げて仕事をされている方もたくさんいて私も尊敬している方がいる。そうではなくて成功そのものを数えて積み上げていくという生き方には少し辟易している。

本書を読んで思ったのは数値化できるものには際限がないということだ。際限がないのは欲望も同じで数字に囚われるとどこか人生が窮屈になってしまうのではないかと思う。それよりも自分がどのように感じるのかを振り返ってみたり、どうしたら幸福をまた感じられるか再現性を考察した方がよっぽど成功を追うより大切なことなのかなと感じた。

たまにエッセイや小説を読むと論理やエビデンス中毒になりそうな読書遍歴が中和されそうで癒されるし感想を書くのも楽しい。ビジネス書や経済の本だけでなく積極的に小説やエッセイも読もうと思っている次第である。